なんでだろう なんでだろう

毎日の中のなんでだろう

大人になると少なくなりますね

だって、それが当たり前だから(笑)

 

何年もそうしてきてるから

もう分かっていることだよ・・・

とニヒルに笑いますね

その結果はこうなるって予測がつくから

 

小学校に入学する前までの子はまるで真っ白な画用紙のようですね

白という色さえないかも知れません

 

もちろんその子の親からある程度受け継いだ着色は無きにしも非ずなのですが

その年代の子の行動を見ていると本当に楽しいものです

 

 

GW中、家族団欒で自然を楽しむ姿を多く見ました

微笑ましい反面、時には残念な光景も

子どもは常に「なんで?どうしてなの?」と親に問いかけます

理由を説明し

しっかりと向き合って

同じ目線で語りかける親御さんを見ると

こちらの方まで微笑ましくなり表情が緩みます

しかし「何回も言ってるでしょ!何回も言わせないで!勝手にしなさい!」

自身のイライラが子どもに向かって投げつけられる

嘆かわしい状況も

結果、子どもはぎゃーぎゃー泣きわめきます

楽しみに出掛けていた私の方までげんなりとしてしまいます

 

私は全てを受け入れられる器の大きな人間ではありませんが

その器の大きさを小さくも大きくもできる存在であるとは思います

 

全ては自分の考え次第で
気持ちの切り替え次第で

 

幼少期の「なんで⁉︎なんで⁉︎」にイライラを感じた経験は私も同じく持ち合わせています

良し悪しの問題ではなく

場の雰囲気

マイナスエネルギーの放出は何にもメリットがないという事に

誰もが少しずつ気付いていけると幸せでしょうね

 

あらゆるものに好奇心を持ち

生活を通して体験する新鮮な発見

子ども達は幅広く大きな疑問を持ちます

 

ところが大人になると生活上の新しい発見は皆無に等しくなります

しかし 自分の知らない知識を入れる時や興味のある事に関しては

子どもと同じような目線での「何故?」が入ってくるような気がしませんか

 

親は大人の目線から子どもにこうであって欲しいを求めがちです

子供の頃のピュアな体験を忘れてしまった大人は、子供の「なぜ?」に理解を示しません

そして特に大人同士になると厄介極まり無い

相手が行った結果に対して「なんでこうしたの?どうしてこういう風になってないの?なんでこうなってしまってるの?」

責めることは夫婦喧嘩のシーンによくありますね

 

自分自身がその事実に満足をしていない時であり

結果に不満足が起こっている時です

人は誰しも満たされようと努力します

でも本当は誰かがやってくれれば満足なわけではなく

そもそも自分の内側の心の安定にあることを忘れています

 

今一度自分の態度を改めます

なんでと言う前に起こった結果をまず受け入れます

 

残念な事にタイムスリップはできません

でも未来は現在の反応の仕方によって変わっていくでしょう

 

イライラする前に自分自身の心のあり方を見つめます

 

もちろん人間です

間違うことだってあります

子どもに必要以上に叱ってしまったり

怒りに任せて物を言ったりすることはゼロではないと思います

大人も悪いことをしたら謝ります

相手が子どもであったとしても

 

 

学びを深めていく上での「なんで?」を沢山持ちたいと思います

知識を増やしていくことは

人間の成長を助長してくれます

もちろん子どもの頃と同じように

疑問を持つ事をなくさないように

自分の価値観を判断基準にせず

優しい生き方をしていけるといいですね


今日も心地よい風が吹く穏やかな青空の北海道

この大地の様に大きく広くなりたいですね

 

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