色々あっていいんじゃない

色々あっていいと思う

間違いだと誰が決めるのだろう

この世の中の大半は正解がない様に思える

世の中の原則なるものは存在するけれど

その他のもので溢れている

満ちている

惑わされている

何が本当か分からなくなっているというのが事実

そう

この世は意識で満ちている

源からあらゆる創造物が現れる

私たちの意図だけではなく

一つの巨大な意識から

先日、こんな事があった

とある教育にまつわる集まりで

子供の育て方の理想像を聞いた

親は子が生まれると

“この子にはこうなってほしい”という押し付けがましい

いや 悲しい理想をもってしまうケースがある

子は私の分身ではないのに

私の一部と勘違いしてしまう

いわゆる親としてのエゴイズムが働き始める

愛している

とても大切な存在にエゴイズムがはたらくなんて!

なんて皮肉な事でしょう

何故そうさせたいのか・・・

何故沢山勉強して難関大学へ入学して欲しいのか

結局の所

勉強をしない子にいくら「やりなさい!」と叱り付けたところで

本人の意識の変化がない限り

その言葉は無に等しく

その怒りはただの個人の感情の歪みでしかないという事

ここでも自身が自らの問題に気付くということの重要性が問われます

こうであるべき理想なんておかしい

一人一人ユニークで素晴らしい存在なのに

「お母さんの言う事を聞きなさい!」

と毎日の様に子供に言うお母さん

どうして自分の言う事を聞かせたいのでしょうか

自問自答が必要です

“私”を中心とした生活のリズムを作り出し

子がその道から逸れたら

「違うわ!こうよ!」と修正する

“安全第一”の観念を持つ

転ばぬ先の杖を使いすぎた結果

子供達の自発的に考える力を奪ってしまっているなら

私のエゴイズムがその自発的な行動の障害となってしまっているなら

この身体を与えられて人生の中で出来ることは

もしかすると限られているかもしれない

今世はそのチャンスが巡ってこないかもしれない

でも出来る限りを尽くしていく

色々あっていいと思う

人としての優しさを持ち

雨の日に傘を持っていないお友達に傘を貸してあげられる温かさ

他への慈しみを持ち

大海原で遠くに見える灯台のほのかな光のように

眩くなくとも

確かな道標を選んでいけるようになりたい