
自他の良い面を先に見ていますか?
アヌサラヨガの先生はよく”Look for the good”と言います
それぞれに善を見出す
“私たちの存在そのものが善である”
ベースになるのはタントラ哲学
ヴェーダンタで云うところの
全ての物が神の現れである=イーシュワラ=私
私の人生初めてのヨガティーチャートレーニングはアヌサラヨガ を学んできた先生のものでした
その中で相手の良い面を探して面と向かって互いに伝え合うワークがありました
思い返してみると顔が紅潮しとても小っ恥ずかしい気がした記憶が残っています
フィードバックも良い事だけを見つけて伝えてあげたり
どうしてもダメ出ししなくてはいけない場合でも相手を想う優しい言葉を選びながら上手く伝える
指摘するだけのパターンでは
人は萎縮し成果を発揮せずに終えてしまうケースもありがちです
今までそんな指導を受けたことがなかった私は
アヌサラヨガって最高だな!と思ったわけです
大人の私たちは日頃
褒められることがありません
子供の頃はあったのかも知れないですが
大人になっても褒められるなんて皆無に等しいです
もし褒められてもどうせお世辞だろうと卑下したり
相手がもしかしたら本当の意味で伝えているのにも関わらず
特に日本人的な感覚で”謙遜”が先にやってきたりします
「そんな事ないですよ〜」
「まだまだですよ〜」って
照れももちらんありますが
時にはもっと自分を認めてあげる事も必要だなと思います
いや〜うちの子は本当に・・・が出来なくてねぇ
お宅の○○君はそれに比べて偉いよね〜
いやいや、そんな事ないですよ
○○君は・・・に関してはうちの子なんて比べものにならないですよ!
参観日の後の懇談会などでよく見ませんか?
私自身が変わったことの一つにこの種のやりとりを止めにした経緯があります
得意や不得意
何かの評価や点数の付く事
対比して物事を見る事に意味がないから
自慢したり過大評価をするという訳ではありませんが
なんか疲れちゃうんですよね
我が子を見下げてよその子を讃えることが・・・
両方すごいんだからそれで良くないですかって(笑)
お互い褒め合えば良いんです!
そしてヤッタァーってハイタッチ!
ただ事実を正確に
その子の存在を認めて
良い面に焦点をあてて公正に見ていきたいなと思います
先日
保護者同士が子供の一年間の様子について話す機会がありました
参加者14名中10名は
・・・が出来ない
・・・しない
これで進級できるのだろうかと不安になる
という残念なマイナス面のみを捉えた物の見方がありました
続けてこうだと聞く側もその残念な話を聞くに耐えないのですが
これぞ一般的な物の見方なのだから仕方ないのだな・・・と改めて思い
私は私達個々の存在の素晴らしさをヨガの先生としてもっと世に伝えていかなくてはと再認識しました
もうすぐ年度が終了します
可能性に満ちたエネルギーを持って息子がドイツへ旅立ちます
私はこの子に親として何を残してあげれるだろうか
あまり難しくはないはず
出発まであと2週間
親子の時間を大切に過ごしたいと思います
我が家の素晴らしい息子を送り出すその日まで