基本の人

基本の人

ベーシックパーソン

私たちはそもそも皆同じ様に細胞の集まり

現在、最小単位は素粒子まで戻る

原子や素粒子などになると

存在してるのかすら肉眼では見えなくなり

目という機能を使って見ようとしても

そこにはまるで何も存在していないかの様に

“無”を実感します

どうやって

どこから

私たちはやってきたのでしょう

宇宙!?

上の方を見上げて指をさす!?

お母さんのお腹から!?

沢山の見方があり面白いてす

さて

この世界の中の素材が集まってできた肉体と

あーだこーだの考えと感情がくっついてきて

私たちが一般的に認識している

「This is me~これが私~」の認識があります

体型だって

思考だって

癖だって

1人として同じ人など存在しない

個性溢れる人に違いない私たち

家庭での親兄弟

学校での先生友達

仕事での上司部下同僚

家の中に限らず

外に出掛けても

どこにいっても

そこでの役割を演じることになります

演じることに没頭しすぎるがあまり

自分が何者か分からなくなることもあります

ここではこう振る舞い

あちらではそう振る舞う

緊張がなく落ち着いている基本の私をどこかに追いやって

演じることに熱中し過ぎ

時には勝手な思い込みを増長させながら対応します

外では気前の良い優しさあふれる人を演じているけれど

家の中では口うるさく怒ってばかりの人

外ではいつもだんまりしかめ面をしているのに

家の中ではにこにこ楽しく過ごしている人

どちらが良いか悪いかではなく

どちらともが基本の私をどこかに追いやり

自分が自分に落ち着かない状況を自ら作っています

どちらせよ

その人の前ではどう振る舞うべきかという緊張や

こうしなければならな枠組みが強いのだなと思います

この落差に気付くことが

私は基本の人から離れていっているのだ!

と分かり始める瞬間でしょうか

ある人は家の中で緊張と隣り合わせだと言います

くつろげるはずの家が緊張の対象になるとは誰も想像しませんね

きちんとしなさい!が口癖の母に育てられ

自分がどう見られているかが心配になる

こうしなければ

こう答えなければ相手が機嫌が悪くなるだろうなとか

自分の意思とは反対にYESを言わなくてはいけないとか

人に現れる恩恵である考えを無視して生活しなければならないのだなと胸が苦しくなりました

最も健全であるために必要な事

それは己をむやみに抑制することではなく

抑圧からも自由になれる理解の進め方を勉強せねばなりません

それぞれに与えられた状況下を上手く乗り越えていく力

基本の私は常に私を客観的に見れる人なのだから

誰かの考えややり方の為に

自分の意思を殺して

別のことをする必要はないのです

自由に楽に生きるべきです

“〇〇にはこうであって欲しい”の荷を下ろします

その人が他者に願える事はないのですから

“あの人にはこうあって欲しい”

“あの人は私にこう接するべき”

私は私の見方からしか相手を見ていません

分かりやすく言うと

理想の相手を自分の中に住まわせ

私の偏った眼鏡によって相手を見続けていることになります

基本の人ということを考える時

それは自分の中に存在する”私”の理解を深めていくこと

素朴に

シンプルに

そのままで

2月はいつも急ぎ足

雪解け

川の水の流れも急ぎ足ですね


Uttara Surya Yoga Studio

北海道江別市にある少人数制おうちヨガスタジオ

“私”が変わるお手伝い

スケジュール お問い合わせは以下のHPより

http://www.uttarasurya.jimdo.com

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