内なる言葉

一日の内にどれくらいの言葉が

音を含んだ言葉として発せられる事なく

頭の中を過ぎ去っていくだろう

生まれてこなかった言葉がある

何年前も

昨日も

一時間前も

数秒前も

相当数ある

考えるから言葉が生まれてくるのだけど

それを誰かに

または

自分に向けて音として伝えるのは

全体の半分以下ではないだろうか

人によってはほんの数%の人もいるかと思う

生まれては過ぎていく

これもまた諸行無常

口から出てくる言葉

あくびやげっぷも含め

ヨガの言葉で言うならudhana(ウダナ)と言われるPurāṇa(プラーナ)

気やエネルギーと捉える

言いたくても言えなかった事

言っておけは良かった事

言わなければ良かった事

通り過ぎてみれば全て変えられない過去なのだからこそ

調和を選び進む選択の難しさが存在します

言いたい事を言うというだけでは

言葉が時には刃になります

そんな時には

言葉の四つの門を思い出すと良いでしょう

良いタイミングか

必要か

真実に基づいているか

優しい伝え方か

この週末は大事な人とのお別れがありました

今生の別離

子供の頃には恐れでしかなかった死という現実

この歳になると生と死について

より鮮やかに

柔軟性をもちながら

より身近な現実として感じることが増えてきます

生きているものは必ず死を迎えるという事実を理解し何度も人の死を経験することにより

死に対して前向きになるとでもいうのでしょうか・・・

この十数年もの間に私の死生感は大きく変化しました

今回は良い葬儀でした

家族や身内が一同を介し

互いの楽しい思い出でで故人を偲び

笑い話に花が咲く

あの時素直に伝えられなかった話

胸に秘めていた話

当時は知り得なかった裏話

話さなければ伝わらないし

聞かなければ知り得ない

死んでからの「ありがとう」は

実は故人に伝わるのではなく

その言葉の響きが自分に向けられたものになると感じます

「あぁ、この人がいてくれて私は幸せであった」と

内なる自分への声を相手を通して反響させる

相手との関係性を通じて

私がここにある意味を思い起こさせてくれるきっかけを与えてくれているのだと・・・

なので死という悲しみの前には

感謝でしかないのだと思うのです

この生がある間に

内なる言葉として湧いてきた

優しい想いはたくさん口にするべきです

必ず人の根底にはMERCY(慈悲の心)があります

あなたの側の無表情なあの人にも

いつも不機嫌なあの人にも

嫌味ばかり言うあの人にも

内なる言葉をたよりに

自らの慈悲の心が底から汲み上げられてくる瞬間を

いつも味わい深く大切に生きていきたいですね

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