
アルタ カーマ
安心 安全
目の前にある安直な目的
私達の大半はそれらを求め生きています
人が求める4つの目的の最初の2つを行ったり来たりしながら
大半はその一生を終えます
3番目はダルマ
アルタ カーマから少し成長した考えが起きてきた時に
ダルマは見えてきます
調和、節理、役割、仕事・・・
沢山の意味がありますが
それらが自分事として見えてきたなら
人生の成功の道に乗っかっているかも知れませんね
周りを見渡した時にも
ダルマの模様がくっきりと存在し
「生き生かされている」と感じると
しみじみと感謝が湧き上げてくるのだなと思います
最後の4番目
人が最終的に求めるもの
モークシャ~完全なる自由~です
文字にすると何故かしっくりきませんね
皆さんが考える外側への物質的な欲求だけでなく
体や考えの内側の探求に忙しくなることも
ヴェーダンタが教えてくれる価値とは離れていってしまいます
好みが望みとなり
執着や依存をつくり
そこから生まれる残念さや足りなさ
怒りや妬み
自分はまだまだだ!
足りていない!もっともっと!というサイクルを作り出します
内観や内省は必要で
身体を持つ自分を知るには大切ことですが
そればかりに捉われてはいないでしょうか
自他を別物として
観察することだけでは中途半端な理解で終わってしまうものです
何故ならそれらは生身の体の中だけで起きていることではありませんか?
そんな事に”気付いている私”であると良いなと思います
最後の”全ての事柄から完全に自由”であるモークシャは
目に見える”もの”でも体験でもなく
自分が自分に穏やかに向き合い
常にご機嫌であること
日々の暮らしの中に息づく
想像宇宙の普遍の価値なのです
この世の織りなす物事を
イーシュワラの目線で見れる人
私の生涯かけての望みはそこにあります
イーシュワラに専心できる人
優しさ
分かち合い
愛 共感 友情(駆け引きなしの)
ダライラマ14世が語る「人類みな兄弟の思想を持って下さい」とは
ありとあらゆる事を自分事の様に捉えると世界は良い方向に向かうのだと示唆していますね
さて先日
仲間の発言がきっかけで
やりたい事を30個書くことにしました
殆どが○○へ行きたい
○○をしてみたい
想像し得るものはお金と時間と条件が揃えば手に届きそうなものばかりでした
・アメリカ🇺🇸ロードトリップしたい
・大学時代の友人を日本津々浦々訪ねる旅をしたい
・スカイダイビングしたい
・海外ヨガリトリートに参加したいetc・・・
この肉体を手放す時まで叶えられないと思ったやりたい事は
「最後はContentment (安堵のある満足感)と言って息を引き取りたい」
ということだけかも知れません
どこかに行きたいという望みが多いので3分の1はすぐに叶えられるでしょう
思うように生きてきていると思っていますが
その為にはそれなりの金銭的な準備も必要であること
お金を稼ぐなら
やはり目的を据えたお金の集め方をした方が良い
ただがむしゃらに稼ぐは私の性に合わないから
もうそれなりに手放していると感じていたのにも関わらず
すぐに叶えられそうなことを叶えていないことにも気付き
物質的な欲求もまだ存在していることに気づいたり・・・
こういった自分の思考に気付くワークも楽しいものだなと思いました
国によって違ったり
時代によって違う価値は普遍ではないのてす
普遍でないものばかり
目の前に現れた見えやすい事象にだけに
心を奪われてしまってはいないかと自分に問います
人としての成長をダルマを通して学び
この人生を楽しんで受け入れる
人生これに尽きるのだと感じています
限りある人生を喜んで楽しんでいきましょうね