とある会話から・・・

その人にとっては

“まぁ気楽に考えてようよ”

という問題ではないんです

分かっています

人それぞれが違う考え方を持って生きているなんて

だから

否定は一切無用です

否定したってなんの良いこともないのだから

相手を認めてはじめて話ができて

はじめてその人を知るようなもんです

これは真実か否かの識別をもつということ

ヴィヴェーカ(識別・間違った考えの修正)が必要であるということ

そんなお話・・・

人は日常生活の中で

その人のユニークな思考によって

ある程度の制限をかけて生きている

行動の制限もあるし

思考の制限もある

そのストッパーが強い人と緩い人がいる

どちらが正しいか正しくないかではない

今の行動は過去の行動に関連性がある

例えば

“もしも○○になったら”の事ばかりが頭をよぎるなら

その”もしも”の未来の妄想は

本当に真実なのかを見定めていけると良いなと思う

その人の今までの経験によって

物事を全てそれに当てはめる過程で考えている

偏りがあるのであれば

修正できるのは自分自身しかいない

真実でないことに心を制限されるのは

暗闇に浮かぶ白いロープを蛇だと勘違いし

本当は存在すらしていない蛇に

恐れ慄いているのと同じだから

過去の何かによって

その思考が自分自身を苦しめる

要因の一つになるのであれば

気づいた今に

もっと安心できる考えの空間があり

自分自身の思考の中にそれは存在していることに

自ら気付いていく練習をしていくと良い

そのためには

外す事の出来ないように思える

頑丈な思考の手錠を

何度も何度も紙ヤスリで擦り続ける

何度も何度も

繰り返し普遍の知識に耳を傾けて

間違った考え(自己尊厳をなくす考え)の修正をしていく

そうして

そもそもその手錠は

偽物のおもちゃの手錠であったという真実に

己が気付くほかない

自分自身を解放し

“安心”は己の中に存在するもの

自分自身が安心安全で

外にある世界をも安心安全であると

信じるのではなく理解していくことが必要

自分を苦しめている

クレーシャ(苦悩)から解かれていく

解かれるというと受け身で

誰かの手によってと感じてしまうけれど

そうではなく

自然とその不安がいらなくなる

不安こそも自ずと私から離れていくように

いらないものが手放されていく

自然と起こるヴァイラーギャ(手放し、離欲)が起こるのを待つ

心からその人を思い

この言葉を記しておこうと思うのです

話をしたら見えてくること

たくさんあるね

コミュニケーションこそが

人を理解できる唯一の方法であるのにね

私たちはいつも常に

それをおろそかにしてしまう

なんとも哀れなイキモノですが

それと同時に愛することもできる

最も上質でサトヴィック(純粋な)な生き物

それが人間ですね

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