
11月は私の誕生月
誕生日には
相手の欲しいものを事前に密かにリサーチして
プレゼントとケーキでサプライズ
相手が喜ぶことによって自分も喜べるという
Wの喜びを得る日
私は小さな頃からそうして育ててもらいました
だから
誕生日だって
クリスマスだって
大好きでした
私の両親は今はその役目を終えつつ
私が代わりに子供達に夢と喜びの一日を提供する楽しみがあります
夫とは結婚してからもうかれこれ20年
しかしながら
私の誕生日を自発的に祝ってくれたことは
数回しかありません
結婚前には映画の様なシチュエーションでお祝いしてくれたことが一度ありました
他人行儀な「お誕生日おめでとうございます」のメッセージ付花束をもらったことも
あとは・・・
もしかすると私の記憶にないだけで何回かあったかも知れません
ただ今思い出せるのはそれきり
毎年必ずお祝いをしてくれる人とは違います
「おめでとう」の一言も私から今日は誕生日だと言わない限り言ってはくれませんが忘れているわけではない模様なのです
性格は寡黙で思慮深い夫
仕事のセンスはありますが
家族とのコミュニケーションは上手なタイプとは言えません
結婚して間も無くの頃は
記念日に対して鈍感な夫に腹を立て
自分が祝ってもらったら相手にもするのは一般常識でしょ!
喧嘩したり
話し合いをしたりをしましたが
一向に改善されませんでした
誕生日に何も無いという状況は大嫌いでしたが
どうもがいても説得する術がなかったので
数年前まで「この人には何を言ってもダメだなこりゃ」と諦めていました
人に対して諦めるとは・・・
あいつはこんな奴だという勝手な決めつけ
人によってはこういう温度差が
“価値観の違い“という定義により
“離婚”という結果に収まる方もいるでしょう
しかし
毎年訴え続けても
主人が全く変わらなかったのには
過去からの何らかの理由がありそうだなと数年前にようやく理解しました
随分と長い時間がかかりました(笑)
日々の生活の中で「相手を喜ばせる」という概念がない
例えば
出張や旅行に行く→その土地のお土産を買ってくる
実家に帰る→父母の為に手土産を買って行く
こんな些細な事柄も彼の中にはほぼ無いのです
人生の中で
与えることを
誰かを喜ばせる事を
誰かの幸せが自分の幸せと感じる経験を教えてくれる環境が少なかった
しかしながら
ここは物質資本の世の中です
Give and Take 必ずテイクがないと気が済まない
ありのままで見ることが隠されています
もっともこの世界の中で正しい物の見方で世の中と自分をみている人はどのくらいいるでしょうか
“自ら気付く”は不可能なんです
だってそもそも経験がないんだから
その上
物事は経験を通して同じ見方でしかみることができないのだから
無知を払ってくれる道具がなければ
この因果応報からは抜け出せません
ヴェーダの文化は脈々と引き継がれ
子供達はその世界観を持って生きるといいます
そして大人になり家族を育んでいくといいます
必要なことは
“自分のした事で相手が喜ぶ→喜びの連鎖で自分も嬉しくなる”
という人生の本質である体験を増やしていくこと
否定しパートナーを蔑んでいては駄目だということ
再教育
心を育む教育です
見えなくなっている良さや優しさに気付いていく為に自分を学びます
大人になったって学びは遅くはありません
ただ教育は早ければより豊かであることに気づくのが早くなる
人生がより輝いていることを知る
今が十分に満ちていることも
子供達にはそんなことを教えてあげれる大人でありたいと願います
以前
過去生やオーラが見える有名な方が夫をみてくれたそうです
過去に私と夫は師弟関係だったと伝えられたそうです
前世からの繋がり
これもやはり何かのご縁があって
今ここに存在しあっているのですね・・・
江別・大麻・野幌 大自然に囲まれた
ほどよいスペースのヨガスタジオ
http://www.uttarasurya.jimdo.com
E-RYT200
Anusara Element Teacher
Kanako