Difference between “Want to do” and “Have to do”

〜したい事としなくてはならない事の違い〜

したい事は自分の欲求や願望に大きく影響を受けます

「美味しい甘栗が食べたいなぁ」

「冬に向かうからオシャレで高機能のダウンジャケットを買いたいなぁ」

「来月はハロウィンだからTDLへ行きたいなぁ」

etc・・・私の最近の願望です(笑)

しなければならない事は何が思い浮かぶでしょうか?

多くの願望は大した問題がないように見えますが

あまりにも欲しすぎたり

誰かを傷つけても

嘘をついても

陥れても手に入れたい

そうすると苦しみを作り出してしまいますね

しなければならないことの多くは

仕事や義務などという言葉を想像するし

誰かに仕方なくさせられるという雰囲気があるかも知れません

しかしながら

その”しなければならない事”を”したい事”より

注意深く扱っていく必要があるのです

一つ良い例があります

仕事でとても疲れて帰って来た時に

シンクに汚れたお皿がいっぱい溜まっているのに気付いてしまった時

あなたならどうするでしょうか

①汚いのは嫌だから無理してでも洗う

②休んで次の日に洗う

③「どうして洗っておいてくれなかったの」と不機嫌になり誰かを責める

①も②もあり得ると思います

どちらかに決める必要はないし

どちらも正解だと思います

しなければならない事はその人にとっては

“自己の身体のケア”かも知れないし”環境の美化”かも知れません

ただし③は全く的が外れていることが頭では理解します

しかしながら

分かっていても③のような状況になるケースがありませんか?

本来ならばこうありたい

「しなければならない事をしたい事と思うようになる」

しなくてはならない事やすべき事は

大体が私達の既成概念によって歪められしまっています

好き嫌いで決めたり

勝手気ままな口実でしなくても良いと決めつけたり

これはこうだからと事実に基づいていない予測をしたり

自分専用ルールというものが知らぬ間に出来上がっているのですから

人間のセンスである好き嫌い

何かを得たい

何かを避けたい

ラーガ

ドヴェーシャ

好きや嫌いと言う感情が深くまとわりついて

それらが大きく自分自身を苦しめているように見えます

私は傾向として”好き”を強く持ち”嫌い”を強く持たない

もちろんどちらに偏るのも

拘りや執着になりますが

生まれ持った気質や育って来た過程のセンスの中に

ドヴェーシャ(避けたい、嫌悪、嫌い)が深く根付かずに生かされてきたことは

前世からの魂の繋がりやこれまでの生き方が大きく影響しています

ヴィラーガ(強く求める事を手放す)

ヴァイラーギャ(強く欲する事が自然と離れていく)

この2つはコインの表裏

ヴィラーガがなければヴァイラーギャは起こらなし

ヴァイラーギャはヴィラーガとアヴィヤーサ(繰り返しの知識の学びや修練)によって叶います

恩恵である考えをもってしても

自分の経験や体験に伴うものから

しなければならない事を

誤った見方で

“やりたくない”

“しなくてもいい”

と判断している時があります

そこにヴィヴェーカ(見識、識別)を持つには

やはりアヴィヤーサが必要なのです

アヴィヤーサ(繰り返しの知識の学びや修練)

やはりこれに限ります

私達が人としての学びを深めるためには

身体にある感覚器官を通して

考える事をしながら

言葉を利用し

行動で表現していく

運動から感覚器官を通して

考えるを促し

情緒の発達や表現を育てる

どの方法をもってしても

自分が自分に落ち着く事を学んでいきます

身体運動と知識体の勉強の2方向からみて

益々自分自身が面白くなってきたなと感じる秋です

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中