
身体が疲れたら私たちは
温泉に入ったり
マッサージをしてもらったり
考え過ぎて頭が疲れたら
甘いものを食べたくなったり
メディテーションしたり
睡眠をとったりする
運動不足を感じたら
ジムに行ったり
ウォーキングをしたりもするよね
衝撃的な言葉は
「体の筋肉が疲れた時にする事は沢山あるのに
目にはなぜ何もしないんでしょうか?」だった
確かにその通り!
目から鱗とはこの事だ!
目の動きは筋肉なのを忘れていたね
私も含めて「目のケアを毎日しているよ」という方の数はかなり少ないと思う
そこまで意識が向いている人がいたなら
あっぱれ!なくらいです
私にとっては
“見える”が当たり前
そもそも生まれた頃から見えていたので
見えることを疑わなかったのですから・・・
またもや習慣化された自分のパターンに気付かされます
眼鏡屋さんで知る初めての知識がありました
軍国主義だった日本
富国強兵
列強諸国に負けない為に
迫りくる敵軍を仕留める為に
遠くが見えることは大変有利だったとか
義務教育の過程では必ず身体検査があり
みんなシャツに短パンで一列に並び
身長 体重 胸囲 座高
視力 聴力 色盲検査
数々の検査を通じて
ありとあらゆるものが調べ上げられました
そして統計として数字化されていきました
それが今残る一般的な基本数値となりました
強い身体と強い日本
つい10年程前くらいまでは
そんな時代の流れを引き継いだ様子でしたね
もちろん現在でもその名残は払拭しきないほどです
結果
視力に関しては
1.0がボーダーラインで
1.0あれば大丈夫だと全体の認識が出来上がった
というのも生まれたようです
さて
私が学んでいるボディワークの中でも
目のワークがあります
目の動きと背骨が大きく影響を与え合っていることなど
ボディワークに出会うまでは知り得ませんでした
背骨に大きな影響があるということは
私達の習慣的な動きや癖は
その背骨が元となりますし
背骨の影響で見えやすい見えにくいが起きているとも言えます
良し悪しではなく
表れる部分に影の部分は頼り
影が現れると表は隠れます
全く知らない国の硬貨があって
一つは表で一つは裏
じっくり見なければ同一のものだと分からない
二つで一つを成していて
片方が欠けることは不可能
表があって裏がある
絵柄は全く違えども
その価値は表にしても裏にしても不変
全てはそのようにできている
この世界のあらゆるものも
何かに頼りながら生きているのだなと
目は
身体を頼って
光を頼って
記憶を頼って
その持てる力を発揮する
目を大切にしよう
身体を大切にしよう
生きていく上で
外見を整えるのと同じように
身体の内側を整えよう
自分を大切に扱えるようになれば
自然と周りが大切に見え
周りも私を丁寧に扱い始める
雪が溶けていくような温かさを自分自身に向ける
思い通りにいかない事には寛容に
ラッキーな事があれば他に還元し
循環を絶やさずように
氷下にはいつも水の流れがある
寒さ極まる2月
その水面下で眠る微生物の様に
潜在意識の海に眠る小さな感覚を探る毎日を楽しみたいです